日々方向音痴
 
人生に対して悲観的、傍観的な私を喚起させる出来事。旅行、手作り小物、野草雑草レシピ 時々ミュージック
 



こころの整理 肉食について

養鶏所の写真を見た。

そこは鳥が生まれる場所であると同時に
機械的な産卵と多大なストレスと死を意味する場所

もちろん、のびのびと育てる養鶏所もある

でも、1,2年の産卵ピーク期間を過ぎると肉として別の精肉所に送られる。
乳牛も同じように、使えなくなった牛は廃棄か、食肉になる。

知れば知る程、
食べているものが、命なのだということを知る。

当たり前のことだけど、なぜか
なんとなく、になってしまう。
昔は本当の意味で当たり前だったこと。

ベジタリアン思考が強まってきた当初、
大学の恩師が子供のころ体験していた
鳥を〆るという情景を話してくれた。

「家で飼っていた鶏は
食べるために飼われていたのですが
僕がある時
『でも、、かわいそうだよね(殺すの)』
と言ったら、祖母が僕をひっぱたいて
『皆思ってることなんだ!』
と強く怒ったんですよね」

その話を聞いたときは、
そんな怒ることないじゃん(・・川)
と思ったけど、、、

すごく、すごく
このあばあさん、覚悟と責任と愛情に
溢れている方なんだな、とジワジワと感じることになった。

これほどに怒るということは
動物を殺して食べるということに
全責任を持っているということじゃないかな。

自ら食べるのではなく
売って、お金にする。
どんどん、その市場は大きくなり
消費者と生産者は隔離されていく。

自分は生産者になりたいのか、
食肉を全否定したいのか、、、

そもそもベジタリアンって、どこまでがベジタリアンなのか。
ウィキペディアでこんな分類表があった↓
ベジタリアンの分類


なるほど・・・
自分は、どうなのかな・・・
うーん、微妙なカテゴリがあるなあ、、、
とりあえず、なぜ食肉を否定しているのか自問自答してみた。

大きく二つの点が理由かな、と。

一つは、共感性。
もう一つは命の大量生産、とそれに付随する大量廃棄。

どこまでも突き進めると
植物だって なんらかの苦痛を感じていない保証はない
だから 植物も食べたり 踏みつけたりしてはいけない

なんてことになる。

だけど

自ら 手を下してでも
食べたいのか?

このラインで
命を頂くという行為をできるか
できないか、分かれる。

自ら手を下して調理して、
ということができる、
という個人の感情的な意味から
魚は食べる。

同情する感覚が他の畜産動物より薄いという理由。
大量生産、大量捕獲である事実を知っても尚
食べたいと思ってしまう。


鳥、豚、牛等に関して
人間になつく、人間もその表情を読み取れる
という点で同情の念が強くなる。

さらに、大量生産という機械的な行為の中で
ずさんになる命の扱われ方、
食卓を囲む人々の無知、無関心、敬意の喪失。

そこから派生する価格競争と更なる大量生産。

悪循環の渦をどうにかしたい、
そんな思いで食べることを拒む。

出されるお肉は頂くし、
仕事上、肉食も牛乳や卵の摂取もしているけど、
拒める自分、環境でいられたら、と思う。
(でも出されたご飯を食べない方が動物にも
作った人失礼だしにも申し訳ないと思う)

食べなければ、廃棄のお肉が増えるのかな、とも思うけど、、、
とにかく
第一に飼育環境の改善、透明性を望む。

どんなエサを食べていて
どんな環境で飼われていて
どんな風にスーパーまで来るのか
わからないなんて、食の安全性も疑ってしまう。

もし、
自由奔放に育った牛の顔を見て
この牛を食べたいから自分で殺します。
という社会であれば否定しないし、
(自分は多分殺せないけど・・・)

自由に駆け回る鳥の卵は
食べたいと思う。

やっぱり、
同情の念の大きさと
大量生産の
二つの点を両方持つ
家畜に対して

「食べる」という行為を取れないんだな、と再認識。

つまり私は分類上、ベジタリアンにはなれないんだな。

でも命を食べるまでの過程を知りたい。知ってほしい。
大量生産の事実を知った上で
個人的な感覚、感情で
食肉を考えて欲しい。


http://www.hopeforanimals.org/

こういう農場が事実としてあることは確かです。



04/06(金)20:38 | トラックバック(0) | コメント(7) | 食べる | 管理

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コメント

 1: 私の思うこと。

私はここ四年ほどビーガン生活をしています。そんな私がビーガンになったきっかけは、インターネットでの畜産に関する今まで知りもしなかった事実の数々でした。それから様々な文献を読みあさり気がついたらビーガンでした。
私たちはスーパーやレストランで食べ物を買い、食べるときその代価にお金を支払います。少しでも無駄を省き、少しでも安くするために動物を道具として扱い、殺し、加工し、調理して頂くための代価にお金を支払います。少なくともわたしはそんなことしてもらいたくないのでビーガンになりました。
この資本主義の上に成り立っている世界で、お金を代価に何かを手に入れると言うことは、その行程全てを自らの手でしていることとなんら変わりはないでしょう。
肉を食べることと、卵、ミルクを頂くことが、動物たちにとって同じ結果、行程を生むことはもう知っておられると思います。
ハッピーミートと言われる動物たちが苦しまない畜産に関しても、私にとっては何の意味もないものに感じます。
動物たちの世話をしてみて分かりましたが、ある一定以上数の動物を動物に不必要な苦しみを与えずに飼育することは不可能です。
今も飼育され殺されていく動物たちのことを思うと怒りが込み上げて来て、コメントが長くなります。。。すいません。。。
これらのことは完全に私の個人的な意見で、意見交換としてコメントさして頂きました。不快に思われたり、不適切であれば削除して下さい。
ありがとうございます。


 by ひがしの | Mail | HP | 04/07(土)21:24

 2: コメントありがとうございます。

HPでのご回答、そして当ブログへのコメントどうもありがとうございます。
意見交換できることをうれしく思います。
ベジタリアン志向を語ると周りは少し引き気味になるので、
こういう場は非常に貴重です。

資本主義によって生み出される、市場の拡大、価格競争、飼育管理~食卓までの機械的な流れは、本当に変えなければいけないと思います。
自給自足を経験してきた祖父や祖母の世代が亡くなっていき、この流れしか知らない人々だけになるのは恐ろしいことです。

だけど、人間も動物だという認識を私は持っています。
イヌイットの人たちの毛皮や、遊牧民たちの使う動物の胃袋、は彼らが生きる上で必要なものですし、動物の命ときちんと対峙していると思います。
そういった意味で、本文にもありますが「おばあさん」のような方が殺すのなら私は口出ししません。

その役割が分業になっている現在の食肉文化が嫌なのです。
畜産の方はお金を得るため、
消費者は何の感情も伴わずお肉を得るため、
動物が殺される。
なにか欠落してますね・・・

>お金を代価に何かを手に入れると言うことは、その行程全てを自らの手でしていることとなんら変わりはないでしょう。

なるほど、納得ですね。
しかも、辛い行程は人任せ。

何度もしつこいようですが、私はこの人任せをしない人はある意味
尊敬するのです。

ですが、私は牛、豚、鳥を殺せないので、
ひがしのさんの紹介してくださったマヨネーズ探してみます。

こちらこそ長文失礼しました。
あ、最後に一つお聞きしたいのですが、貝や魚も食べないのですか?


 by 管理人 | 04/08(日)12:58

 3: 返信ありがとうございます!

人間は知識を蓄えて自分たちのしたいことが出来るように環境を変えていくことで大繁栄しました。
例えば、初期の人類は狩猟民族であったと言われています。その後の人口大爆発の引き金となった物は耕作です。要するに、食料の確保が人間が繁栄する上で非常に大切であったと言えます。
狩猟・採集は食料を得られるか得られないかの波が大きすぎます。その後、食糧の確保が安定し始めて初めて、動物を飼い、それに食料を与え、肉、ミルクなどを得ると言う効率の悪い、贅沢と言える食料の確保の方法が生まれました。
これは日本の場合で、例えば、モンゴルなどの耕作に向かないが牧草地が広大に広がる地域では、動物に草を食べさせて、その動物からタンパク源を得ると言う方法が生まれました。イヌイットが住む地域では、耕作は愚か、牧草地もなく狩猟以外の食糧確保が出来ませんでした。そのため、このような地域での人口爆発は起こりませんでした。
ちょっと話がそれていますが、要するに私が言いたいのは、イヌイットなどの狩猟民族や動物を利用し生きている民族はそれしか選択肢がない中で生まれた民族、生き方であると言うことです。
それに比べ、私たち先進国に住む人間は、多くの選択肢を持って居ます。その多くの選択肢は、よりよい世界を作るために私たちが選択して行かなければならないものであって、選択肢を持っていること自体に満足してしまっているのが今の先進国の現状だと思います。
その中で、動物に無駄な苦しみを与えずに十分な生活と健康を得ることが出来ると言う選択肢を、私たち、先進国に住む人間が持っているのは、アニマルライツや畜産の現状を調べたことがある方なら知っている事実だと思います。
私は、ただその選択肢を選びたいだけなのです。
私にとって、自分の手で行うか、他人にしてもらうかは大きな問題ではありません。選択肢自体を持たない人は動物を殺すしかないのです。でも、私たちは殺さないと言う選択肢を持っています。たとえ自分の手で殺しても、それは殺さなくてもいい命、苦しまなくてもいい命であったのです。
また、長くなってしまいました。。。申し訳ありません。m(_ _)m
ちなみに、ぼくは魚も、貝も、蜂蜜も食べません。どこで線を引くかは人によって違いますが、私は、中枢神経の有無で線を引くことにしています。


 by ひがしの | Mail | HP | 04/08(日)22:17

 4: なるほど。

人それぞれですね。
でも、選択肢の有無に私も問題があると思っています。
その為に個人が正しい情報を獲得し、国規模で情報開示をするべきだと考えています。国は経済的な事しか考えてないでしょうからね・・・
ただ、極論になってしまうのですが、人間の動物的本能を完全に封印するというのは、不自然だと思ってしまうんですよね・・・
だから私のラインは魚を自分で獲ること。

>たとえ自分の手で殺しても、それは殺さなくてもいい命、苦しまなくてもいい命であったのです。

ごもっともだとも思うんですが。

ところで、私はビーガンのビジョンや観念を全然知らないので
お聞きしたいのですが、
たとえば、畜産を無くなったとして、そこの動物はどうなるのですか?
世の成り立ちの知識不足で、想像が稚拙になってしまいます。
詳しそうなので、この機会にお聞きしたいと思いまして・・・

長くなっても全然かまいませんので・・・
メールでも結構です。


 by 管理人 | Mail | 04/09(月)10:14

 5: コメントありがとうございます。

動物的本能と言いますと語弊が生まれます。
例えば、人間に近いと言われるサル目の動物は、レイプや子供殺し、戦争もします。肉食だけを自然な本能として保護するのはエゴと言えるでしょう。
本能として保護すべき物は、食欲であって肉食ではありません。事実、植物だけの食事で食欲という本能は満たされることは管理人さん自身の身で体験しておられると思います。

質問して頂いたことについても、私なりの意見を書いてみたいと思います。
>畜産を無くなったとして、そこの動物はどうなるのですか?
まず、この現実的問題を考える上で、現実的に考えてみて下さい。いきなり畜産が全て規制されて行き場のない畜産動物で溢れかえるなんてことがありえるでしょうか?
去年の一年間でアメリカ国内のビーガン人口は2倍になり、2.5%と言われています。もしも、この調子でビーガンが増えていった場合のシナリオを想像してみます。
少しずつ、お肉、ミルク、卵が売れなくなり破産した企業や牧場は、残った建物や動物を銀行に引き取られ安値で買ってくれる所に売り出します。これは、少しずつ、ビーガンの数に比例して増えていくでしょう。こうやって、すこしづつ減っていき最終的に法律で禁止されるとしても少しずつ廃業となっていくでしょう。残った動物たちはまだ、肉を食べる人がいる所に売られていくでしょう。もちろん、ビーガンがマジョリティになれば政府の力とお金を使って、全ての残っている動物に出来る限り苦しみのない一生を送ってもらい(繁殖はさせず)、畜産に一気にとどめを刺すと言う方法もないことはないですが。
過去の奴隷解放運動や、女性の権利運動などを参考に考えるとわかりやすいと思います。少しずつ意見が受け入れられていくが、たとえ政府が動いたとしても、全てをなくすことはなかなかできないことは明らかでしょう。つまり、いきなり行き場の無くなった動物で世の中が溢れかえるということは現実的に起こりえないと言うことです。

参考になれば幸いです。


 by ひがしの | Mail | HP | 04/10(火)05:02

 6: 何度もありがとうございます。

>動物的本能と言いますと語弊が生まれます。
とても考えさせられました。
うーーん、となると食物連鎖という言葉に替えてみます。

イヌイットやモンゴルの遊牧民たちは、選択肢を持たないのではなく
資本主義自体を選ばない、という風に思えます。
感覚的、感情的な話になりますが、
私は彼らの生き方が好きです。
だから、畜産のように「囲み」「流れ作業」「生産者と消費者の隔離」は否定しますが、マタギのように自分で獲って、神聖なものとして命を見ている方を、否定はしません。
動物が殺されうことは感情としては嫌ですが。
彼らは、殺さない選択肢もあります。
でも、私は否定しません。
上手く説明できなくて申し訳ないのですが、、、
私が口を挟む土台ではないように感じるし、自然な食物連鎖を思わせるからだと
思います。
ペスクタリアンという言葉を今さっき知り、私はこれに近いみたいですね。

それはさておき、アメリカではビーガンが2倍になったというのは驚きました。
そのまま増えて、マックなどの大企業が方向性を変えたら一気に加速するんでしょうね。。変えないでしょうが。
その劇的な増加には一体なにが起因しているのでしょうか?
やはり、映像を交えた警告などからなのでしょうか?


 by 管理人 | Mail | 04/11(水)16:45

 7: 返信ありがとうございます!

管理人さんのおっしゃることよく分かります。
私も、現代のアニマルプロダクツの生産・消費の輪の中から離れて、自給自足で生きている人たちのことを否定しようとは思いませんし、尊敬します。私が否定したいのはまさしく、「アニマルプロダクツの生産・消費の輪」自体ですから。
つまり、この問題は、主にアニマルプロダクツの消費者である、先進国に住んでいる人々にとっての問題であると思っています。私たちですね。
そんな私たちに出来ることは何か。私が思いついたもっとも簡単で今すぐ出来る1つの方法がビーガンでした。ビーガンが全てではありませんが、一種の意思表示だと思っています。
あと、マタギの話が食文化と繫がって来そうなのでこちらも。
私は、文化と言う理由で肉食を保護しきれないのではないかと思っています。
例えば、フォアグラや、猿脳は動物虐待に当たるとされ規制されていますが、それらも食文化であったことは確かです。自分の道徳的価値観で許せる物は守り、許せない物は否定するという方法では、結局人間のエゴでしかないでしょう。
アメリカのビーガンが2倍になったと言う話は、実際、正確な数を調べる方法もありませんし、信用できる話ではありませんw
その中でも、若い方の中にビーガン、ベジタリアンと言うライフスタイルを選ぶ人が多いみたいです。こちらではそーいったムーブメントが生活のスグ近くにあると言う印象を受けます。これが、日本と、イギリス、アメリカの一番大きな違いだと思います。日本では、まだまだアンダーグラウンドって感じですからね。。。

なんか荒らしみたいになってしまってすいません。管理人さんみたいな考え方の方と意見交換出来る機会が今までなくて、ちょっと突っ込みすぎてしまいました。。。でも、すごい有意義で楽しかったです!
ありがとうございます!
って最後のコメントみたいな、書き方していますがわたしはいくらでもつきあいますよ!w


 by ひがしの | Mail | HP | 04/12(木)21:47


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